枡の歴史。昔は悪さするのにも使われていた。
枡には沢山の種類がございます。
枡の大きさを示す尺貫法(しゃっかんほう)はどのように決められたのか?
これを利用してどのような悪事が行われていたのかについてご説明します。
昔から日本の伝統文化に使われてきた枡ですが、実は悪さをする為にも枡は使われていたというエピソードがあります。
かの有名な織田信長は、当時京都で使われていて十合枡に奉行の印を押させて公式の枡と定め、豊臣政権もこれを継承しました(これを京枡といいます)。
江戸幕府は1669年に京枡を元にして新たな枡の統一規格を制定(新京枡といいます)し、これが現在まで続く枡の規格の基礎となってるのです。
ところが、各地の領主は少しでも多く年貢を徴収することを目的として、小売商は販売量を少なくごまかす事を目的として、上記で定めた規格に適合しない枡を悪用していたと言われています。
枡に使われている「枡(しょう)」などの体積の単位は本来、枡から逆算されたものでした。
ところが、「枡」の体積に適合するように「一枡枡」が作られた訳ではなく、「一枡枡」で量った体積を「一枡」と呼んでいたそうです。
このため、正確な計量は枡の適否にかかっており、偽の枡を製造販売することは江戸時代には重罪とされていました。
しかし、実際には上記のように偽物の枡は広く用いられていた形跡が残っており、一部の藩では独自の枡(藩枡)を作って、藩ぐるみで不正を行っていた場合もあったようです。
昔は悪さするのにも使われていた枡。
結局のところ、形式上規格だけはあったものの幕府の努力とは裏腹に江戸時代が終焉するまで、枡の全国統一は出来なかったと言われています。